たかはまおさかな大図鑑
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櫻木忍さん分が物心ついたときには親は漁師を辞めて別の仕事をしていましたが、自分は根っからの海好きで中学生のときから、近所の漁師の手伝いをしていました。海好きが功を奏し、高校に進学せずに16歳で漁師になった1963年高浜町生まれ和田漁家組合組合長兼若狭高浜漁業協同組合副組合長[漁法] 延縄・ナマコ漁ときは、先輩方から「俺の船に乗って手伝え」と、いろんな船に声をかけてもらい、いろんな漁を教わりました。 一人前になりたい!と17歳で自分の船を買おうとしたときは、周りから大反対をくらいましたよ。組合員でなければダメということで。それでもかけあって準組合員にしてもらい、1年間の定置網漁船に乗ることで了承してもらいました。そして18歳のとき、ついに自分の船を持ちます。早く一人前になりたかったんですよ。 周りの先輩方も温かく見守ってくれ、トライアンドエラーの繰り返しでした。毎日布団に入って明日はどの辺りで網を引くか考えながら翌日を迎え、想定した場所がバッチリ当たったときは最高です。逆に獲れすぎて遠慮してしまったりすることも(笑)。 今は便利になり、漁業用のGPSがあるのですが、昔は陸の山の筋を目印にしながら漁場を決めていたものです。それは長年の経験でもあるのですが、若いときに先輩方が連れて行ってくれたのは、口にはしないけど教えるつもりで乗せていってくれたのだと今は感じます。 今は教える側になって、やりたいと思ってくれる人に漁師の楽しさを伝えようと考えています。最後は自分の〝器量〟によりますけど、まずは定置網漁船に乗るのが手っ取り早いでしょうね。最近は海を大事にする気持ちも大きくなっています。町と共にアイデアを出し合いながら漁業が継続できるように努めるのみです。   自漁師は”楽しい“を伝えたい!09水揚げされた魚を即、血抜きするなど魚の価値を上げる努力を惜しまずその日の売上額に漁師仲間と一喜一憂獲る人

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