年 代主 な 出 来 事修 学 旅 行 に 関 す る 事 項 明治36年(1903)39年(1906)鉄道国有法制定(17大私鉄買収)45年(1912)大正2年(1913)3年(1914)第一次世界大戦おこる5年(1916)昭和4年(1929)世界恐慌●修学旅行に関する訓示(許可制となる)○青森県訓示第九号(4月15日)には「小学校児童ノ如キハ未タ身体軟弱ナレハ遠距離ノ地ニ引率シテ徒ニ身体ヲ疲労セシメ或ハ旅舎ニ宿泊セシメテ多額ノ費用ヲ消費セシムルカ如キハ啻ニ利益ナキノミナラス風紀衛生上其弊害尠カラストス」とし次の要領を示した。 1.宿泊の旅行は高等科第3学年以上の男子に限る 2.宿泊旅行は1学年間に1回2泊以下で許可制 3.宿泊しない修学旅行は1学年間に2回以下届出制 ●自学自習を生かす修学旅行○明石女子師範学校では、明治36年以来、生徒に課題を持たせた研究旅行として修学旅行を行い、事後にグループごとの研究報告会を持った。 ●中学校合同中国東北地方方面への旅行○7月13日~8月12日、中国東北地方の日露戦争の戦跡めぐりを全国の中学生が五班に分かれて実施 文部省、陸軍省の共同事業であった。東京府では高師附属中、府立師範、府立一中、二中、三中、四中、府立染織学校などで甲班に属した。一中では教員8名、5年生21名、4年生19名、合計49名が参加した。 ●北東アジアへの修学旅行○福岡県立中学修猷館では、夏季休業中に初めて北東アジアへの旅行を行い、以後毎年この旅行を行うようになった。なお韓国への旅行は、すでに明治35年に福岡市商業学校の生徒が行商旅行を行った記録が残っている。 ●修学旅行の廃止令○新潟県令24号(5月15日)では「元来小学校ニ於テハ修学旅行ノ必要ハ殆ト之ナキノミナラス特ニ宿泊ヲ重ネテ旅行スルカ如クハ宜ク之ヲ廃止セシムルモ何等ノ失フ所ナキヲ信ス」として、特別の場合でも一泊を超えないように制限した。この県令は昭和2年まで有効であった。 ●参拝の規定○群馬県立沼田中学校「修学旅行規定」(大正2年制定)には「四、京都、大阪、奈良、伊勢方面旅行ニ於テハ、伊勢神宮、桃山御陵参拝ハ必ズコレヲ行フベシ」「五、神社仏閣ニ詣ズル際ニハ、衷心敬虔ノ念ヲ以テシ、苟クモ不敬ノ行為アルベカラズ」とある。 ●参加率の規定○群馬県勢多郡長の通達(9月28日)では、女児の宿泊を禁止し男子を一泊以内に制限し「一般ニ当該学年総児童数ノ十分ノ八以上参加スルニアラザレバ之ヲ挙行セザルベク」としている。 ●修学旅行奨励論○新潟新聞記者、須藤鮭川は「修学旅行奨励論」を発表、県訓令の修学旅行無用論(前掲)に反論する。 ●台湾旅行○山口県立赤間(下関)商業学校、台湾へ修学旅行 ●北東アジア方面への修学旅行隆盛○山梨県師範学校では7月16日から18日間で行われた。大正14年の入学当時から旅行費用を積立てた5年生の約半数35名が参加、費用77円 ・旅行コース 甲府-塩尻-名古屋-下関-釜山-京城-平壌-安東-奉天-撫順-奉天-長春-ハルピン-長春-公主嶺-大連-旅順-大連-門司-八幡-下関-神戸-三ノ宮-名古屋-塩尻-甲府 ・滋賀県師範学校では、昭和4年から昭和7年まで毎年北東アジア方面への旅行を行った。 ・京都府師範学校では大正13年から北東アジア方面への旅行が始まっている。 ・ 大正15年には福岡県立小倉商業学校が上海方面に旅行した。また、京都府立宮津中学校では昭和3年に40名余の生徒が北東アジア方面への旅行を行っている。 ●修学旅行の制限○静岡県においては下記のような通牒を出した。 修学旅行ニ関スル件通牒 昭和4年9月25日 児童ヲシテ知見ヲ広メシメ敬神崇祖ノ念ヲ涵養スル等ノ目的ヲ以テ修学旅行ヲ実施スルハ極メテ有効ノ施設ト存セラレ候ヘトモ近時其ノ計劃度ヲ越エ父兄ノ負担過重ノ嫌アル様聞及居候ニ付テハ此際時局ニ鑑ミ其ノ負担ヲ一層軽減セシムル様爾今当分左記ニ依リ御処理(御計劃)相成様致度48 教育旅行年報「データブック2024」
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