教育旅行年報データブック2024_S
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②③年 代主な出来事明治5年学制公布(1872)19年(1886)学校令制定師範学校令公布小学校令、中学校令の公布20年(1887)21年(1888)尋常師範学校準則の通知22年(1889)大日本帝国憲法発布25年(1892)尋常師範学校の学科等の改正●東京師範学校の「長途遠足」…修学旅行の始まり○2月15日~25日、千葉県下に「一ハ兵式操練ヲ演習セシメ、一ハ実地ニ就テ学術ヲ研究セシムルノ目的」で長途遠足を行う。報告書に「長途遠足ノ学術上ニ有効ナルハ教員一同ノ確認セル所ナリ。只一日七里前後ノ行程ニテハ生徒ノ疲労甚シキヲ以テ途次随所ニ於テ其精神ヲ学術上ニ用ヰシムルコト難ク、又予メ旅程ヲ定メ、前ヨリ時日ヲ限ルコト今回ノ如クスル時ハ毫モ猶予ナキヲ以テ学術上、事業ニ十分ノ時ヲ興フルコト能ハズシテ間々課業、半途ニシテ之ヲ止ムルガ如キ不幸アルベシ。故ニ今後ハ一日、行程ヲ五里内外トナシ、若シ学術上研究スベキコトアルニ当ラバ充分ノ時ヲ之ニ用ヰ得ベキヤウ、予メ時日ノ猶予ヲツケ置クコト緊要ナルベシ」とある。この旅行は「行軍」の計画に対して、高嶺校長らが「学術研究」及び「教育」的配慮を加えて実施したものである。 ①●「修学旅行」という名称の初見 「修学旅行記」という記事が「東京茗渓会雑誌」第47号(19年12月)にみえる。 ●修学旅行の期日の定め○東京師範学校では下のように修学旅行の期日を決め、明治20年のみ実施された。  1.7月16日より9月10日までの中 30日以上  2.12月20日より同30日までの中 適宜により執行  3.3月15日より同30日までの中  4.毎月1回、土曜日 1泊以下 ●「修学旅行」の公文書への初見○東京尋常師範学校長が「修学旅行之儀ニ付伺(明治20年 府禀)当校生徒修学及兵式体操演習ノ為来月(12月5日)出発便地ニ二泊シ南北豊島郡南足立郡等ノ地方ニ旅行ノ為致度此段相伺候也」と④の伺状を府知事に提出している。 ●「修学旅行」の普及○「文部省第十五年報」(明治20年度)師範学校に「男生徒ノ修学旅行ヲ施行シ以テ地理ヲ探究シ動植物ヲ採集シ実地写景及ヒ発火演習等ヲ為サシムルハ府県ノ概ネ挙行スルトコロニシテ」と述べて⑤いる。 ●準則に「修学旅行」という項が示された○「修学旅行ハ定期ノ休業中ニ於テ一ヶ年六十日以内トシ可成生徒常食費以外ノ費用ヲ要セサル方法⑥ニ依リテ之ヲ施行スヘシ」  ●「修学旅行論」のはじまり○谷田部梅吉は大日本教育会雑誌78号の中で「(一)生徒ノ見聞ヲ博ムルノ利益、(二)生徒ヲシテ世態ニ通セシメ、人生ノ苦楽ヲ実験セシムルノ利益、(三)教員ト生徒トノ間ニ親愛ノ情ヲ通スルノ⑦利益」の三点を共同遠足のねらいとして挙げている。 ●奈良方面への修学旅行の記録の初見○第三高等中学校(旧制三高)では、第二学期末の休業期間に、奈良、月ガ瀬、笠置方面へ第一回修⑧学旅行を行軍として行い、史蹟、名勝の見学と発火演習を実施した。 ●女子の「修学旅行」の初見○山梨県女子師範学校生徒15名は京都、三重を視察し、帰途文部省を訪れ、榎本文相に面会した。  ⑨●「修学旅行」の意義づけが定着する○「夏季休業及学期末休業等成ルベク適当ノ時期ヲ選ビ教員ヲシテ生徒ヲ率ヰテ修学旅行ヲ為サシメ、⑩山川郊野ヲ跋渉シテ其身体及精神ヲ鍛練スルト共ニ、知見ヲ広メシメンコトヲ努ムヘシ。」  ●「修学旅行費」の支給○「尋常師範学校男生徒学資支給方法」(埼玉県)によると、「修学旅行費ハ修学旅行中ニ係ル旅費其他、実費ヲ給ス」とある。明治24年の同校予算には175円37銭(1人当たり約1円40銭)が計上されている。  ⑪○また、滋賀県令では「尋常師範学校生徒ノ修学旅行費ハ食費ヲ以テ之レニ充テ不足アルトキハ一日⑫金二十銭以内ヲ補給スル」と定められている。 修 学 旅 行 に 関 す る 事 項修学旅行の歴史 丸数字は註46  教育旅行年報「データブック2024」

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