l 7各カテゴリーでの連携がなされ、一つになっていく。Japanを訪問し、町議会に審議を提出。解決届く。内容は「ブルーフラッグ取得に興味はありますか?」。ヨーロッパを中心に世界中のビーチで取得しているものの、まだ日本ではブルーフラッグの存在さえ知らない。ただ、この情報を知れば知るほど、高浜町が抱える課題を一気に解消できるのではないか、全員に目標が生まれるのではないか。そう直感し、すぐさまブルーフラッグを管轄するFEEの糸口が見込めそうと全員の認証を得て、かくして「Road to Bue Flag」はスタートした。国内審査委員会は2016年。リミットは2年を切っていた。「環境教育と情報」、「水質」、「環境マネジメント」、「安全性・サービス」。この4つの基準をクリアすること。問題は山積しているが、可能性がないわけではなかった。 日本国中が知らない認証制度を、町の人が知るはずもなく、「行政が何かやってる」という感覚でしかない。そこでまず知ってもらうためのシンポジウムを開催。徐々に認知度も上がって、意識の高い人たちが集まり「ブルーフラッグ推進部会」も立ち上がる。2014年には「安心・安全な海構築会議」にて検討されていた「高浜町の海岸を守り育てる条例」、「若狭高浜海のルールブック」が条例として矢継ぎ早に施行された。 また、認証に欠かせない「監視活動」に対して、高浜町には既に2つの団体が存在していた。「若狭和田ライフセービングクラブ」、そして「高浜町水難救助員会」である。彼らが存在しなければ認証の舞台にさえ上がることはできなかった。最難関事項の一つだった「安全リスク評価」は国内事例が皆無であったが、たまたま日本ライフセービング協会(JLA)が認定海水浴場制度を創設する際に若狭和田がモデル海水浴場に選定されたため、地元クラブとJLAとで「安全リスク評価」を実施することができた。 もう一つの団体「高浜町水難救助員会」は、主に海上からの監視活動を行なっている。1970年代に地元の人たちによって自発的に組織され、現在も続く全国でも例を見ない組織だ。この2団体が存在していたのも、それぞれの思いで海を守ろうという意識が高いが故である。 さらに環境教育に関しては福井県立大学海洋生物資源学部の富永修教授からの全面協力もあった。富永教授は以前より若狭和田の海洋生物研究を続けており、ボランティアで子供たちに水辺の生き物観察会を催すなど、熱心な教育活動も行なっていた。「ブルーフラッグ」取得に対して反対するはずもなかった。バリアフリーに関しても地元NPOの活躍によって徐々に整備されていく。若狭和田は海に流入する河川がなく、浜茶屋も下水道がすでに整備されていたので、水質には問題はなかった。 何よりも地域住民の日々の活動がなければ認証など遠い夢物語に終わっていた。海と共に生きてきた人は、浜をきれいにすることは当たり前のこと。地域の人々、水難救助員、ライフセーバー、NPO、大学教授。誰もが抱いていた「海を守りたい」。町役場と各部会
元のページ ../index.html#9