シンガーソングライターになりたくて上京し、挫折して地元に戻りましたがやっぱり東京に行きたくて20歳のときに再度上京しました。そのときに働き始めたのがか伝量販店でのカメラメーカーの販売員です。でも売るためにはカメラを知らないとと思い、初めて一眼カメラを手に取ります。 その後、カメラメーカーのショールームで働くことができ、10年ほど勤務するんですが、地方に住みたい思いが夫婦で高まり、「ふるさと回帰支援センター」に話を聞きに行ったんです。このときは福井でなくてもよかったし、東京の近くの地方、という考えだったのですが、福井県担当の方から声をかけてもらい、それならばと、写真に関することを福井でできたら、と思ったんです。 それでも嶺北まで。嶺南は行ったことがなかったので考えがありませんでした。そのときに高浜町で地域おこし協力隊でフォトライターを募集していたんです。既にカメラマンとして活動もしていたときでもあったので、一度下見に行こうと訪れたとき、妻が一言言ったんです。「母の実家の、五島列島にある宇久島の風景に似ている」と。その一言が決め手でした。高浜町に住むことにしました。 その年はちょうど七年祭がある年で、住んでいきなり祭の練習に参加することになったんです。でも、そのおかげですぐに顔を知ってもらい、町内で会えば挨拶をしてくれるようになったんです。高浜町に来て一番ビックリしたのが子どもたちもすれ違う際に挨拶をしてくれること。この挨拶一つが自分の存在を認めてくれるという感覚で、とても気持ちがいいんです。 奥さんも最初は知り合いがいなかったのですが、近所の方が仕事を紹介してくれて、そこからだんだんと人のつながりが増えていって。今では自分よりも家にいないくらいです(笑)。こうしたつながりは、地域おこし協力隊の期間が終わった後も「やっぱりこの町にいたい」と思わせてくれました。だからそのまま移住を決めました。 時々知り合いが来るのですが、「高浜町は時間がゆっくり流れている」と言われます。たしかに海岸沿いを散歩するのが好きなのですが、そのときのゆったりとした時間は何物にも代えがたい気持ちのいい時間です。都会では決して感じることのできない、〝毎日が非日常の感覚〟というか。心のゆとりが、この町に住んでいて生まれています。仕事でカメラを手にする七年祭がつなげてくれた都会から地方にUIターンをして働くことにハードルを感じている人が多いのも事実。「仕事がないのでは」と不安が先に来るからだ。しかし、高浜町で起業して活動をしていると、働いて稼ぐ以上のものがあることに気付く。実際にUIターンをした二人の言葉には、幸福感が■れている。1982年福井市生まれ。2019年に地域おこし協力隊として高浜町に住み、その後はプロのフォトグラファーとして「Natural Photo Art」として高浜町で活動。FM舞鶴でも毎週金曜日パーソナリティーを務める81Daishuke Ito伊東大輔さん
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