これまで知られなかった歴史が明らかに福井最大の山城が高浜にあった!砕導山城跡 創建が1800年以上前とも言われている、高浜町で一番古い社・佐伎治神社。かつて城山公園の天王山にあったこともあり、さらに江戸時代までは佐伎治がなまって「さいち」とも呼ばれていたそうだ。事実「砕導大明神」と書かれたものもあり、砕導と佐伎治はほぼ同じ意味だったようだ。 現在の佐伎治神社の後ろにそびえる山、これが砕導山城跡であり、当時この地を治めていた逸見昌経(へんみまさつね)公が、主君であった若狭武田氏と戦うために築城したものとされる。永禄4(1561)年に敗れた後、昌経公の家臣・高木陣太夫が天正16(1588)年に開基したのが妙見宮だ。 と、ここまでは知られていたのだが、実は砕導山城がどのくらいの規模だったのかは、あまり知られていなかったのだそう。最初は妙見宮と手前の愛宕宮のあたりまで、と思われていたのだが、よくよく調べると、尾根伝いの隣の天王山も城としてつながっており、山全体が城になっていたとか。その規模は福井県最大! そしてこの稜線の地点をつなげていくと…。北斗七星の形に! 妙見宮の妙見菩薩は北極星や北斗七星の進行と強く結びついており、まるで意図したかのように点在しているのだ。実は妙見宮の瓦には北斗七星が描かれており、城づくりに信仰の厚さを感じさせる。 妙見宮までは道も整備されているので、ふもとの佐伎治神社から約30分のトレッキングを楽しむと、頂上の妙見宮からは高浜の町並みと若狭湾が一望できる、知る人ぞ知る眺望スポット。歴史と風景を楽しむことのできる、古くて新しいエリアとして人気になりそう。砕導山城跡は佐伎治神社の裏にある山全体となっている妙見宮から高浜町と海を望む。戦時中の遺構も残っている標高143mの山頂にある妙見宮までの道のりは急なのでゆっくり進むこと70砕導山城F-5
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