高浜Days2024
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人は祭りに生き、祭りは町に活力を与える。 り歩き、地区内19の区が、それぞれ大刀振や神楽、田植えなど芸能を奉納する。神輿の祭神はそれぞれ違っており、東山は稲田姫命、中ノ山は素戔嗚尊、西山は大国主命であり、神輿の形状もそれぞれの神にふさわしい姿となっている。  1日目、4日目、7日目に神輿が練り歩き、それ以外の日に曳山と各芸能が行なわれる。俄芸も残っており、6日目の晩に区内のどこかで演じられる。7日目に佐伎治神社に戻ってきた神輿は、参道を通り鳥居浜海岸に向かう。1基あたり100人で担ぐ神輿が3基、総勢300人もの人々がぶつかり合う勇壮なさまは、祭り最大のクライマックスである。最後に疫神を海に帰す「足洗い」を行ない祭りはフィナーレを迎える。 芸能、神輿、すべての芸能を行なうのは町の人たち。人が増えていけば新しい区もできる。伝統と歴史を知らない人たちも、この日だけは神輿を担ぐ手助けをするなど、町最大のイベントにも関わっている。「450年、祭りができるということは、町が生きているという証拠ではないでしょうか(佐伎治神社赤坂康夫宮司)」。この7日間が終わると、人々は次の祭りの準備を始める。区によっては祭りのための積立も独自で行なっている。「次の祭りまで頑張って生きよう」、そう目標を立てる人もいる。6年おきに集中する人々のエネルギーは絶大なものがある。高浜七年祭は旧・高浜地区の人々における人生サイクルの根底を支えているといっても過言ではない。67

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