35青葉山の北北西にある県道の傍に、人々が崇めている石がある。言い伝えによるとこの石の下に人の亡骸が眠っているという。その亡骸は村人から「聖さん」と呼ばれていたお坊さん。彼はある日、山の上から転がり落ちてきた巨石の下敷きになってしまい、石はそのまま居座ってしまった。人々は「聖さん」を悼み、その石をいつしか「聖石」と呼ぶようになったという青葉山を自然のご神体とする、創建不明の古社。この一体は第17代履中天皇の皇女である飯豊青皇女の御料地であったとされ、青海神社の敷地内にある「禊池」は飯豊青皇女が禊をした池と伝えられている。また、この地は「みそぎの井戸」とも呼ばれている。伝説によると青葉山に住みついていた大蛇を退治した際に尻尾が青海神社まで飛んでいった。神社は神聖な青葉山から飛んできたということで、井戸を作って祀ったという1000年ほど前に神野浦の漁師が大嵐で見知らぬ島に打ち上げられてしまった。意識を取り戻すと鬼のような者が近付いてきたので逃げようとすると、波打ち際に浮かぶ大木が「わしの背に乗れ」と口をきいた。漁師がまたぐと大木は白馬となり、神野浦の浜に連れ帰ってくれた。青葉山の北側にある「観音岩」には、そんな伝説が残っており、今も白馬の蹄の跡が見えるという関屋川の上流には目が見えるようになった女性の物語が言い伝えられている。ある日突然目が見えなくなった女性が診療所の待合室にいると、お大師さんにお参りをして目が見えるようになったという子供の声が聞こえ、夢の中でお大師さんに出会った。家に帰ると再びお大師さんが現われ、気付けば目が見えるようになり、家にいたはずが百尺の滝の前に立っていた県境にある2つの石には争いの物語が言い伝えられている。若狭国と丹後国は国境の争いを、双方が犬を出して喧嘩をさせ、その勝敗で国境を決めることにした。結果は坂の峠で若狭国の犬が丹後国の犬を組み伏せ、縁起の良いその坂を「吉坂」と呼ぶようになったという。そして犬に似た2つの岩を「若狭犬」、「丹後犬」と呼ぶようになった。現在では片方の石が土に埋まっている宮尾の聖石青海神社/禊池観音岩百尺の滝犬石
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