コロナを経て、自分も周りもライフスタイルは変わった。ライフスタイルの変化は、参加する人の過ごし方も変えた。ライフセービングを通じて海を好きになってくれるように。「若狭和田ライフセービングクラブ」を立ち上げ、海の安全を護り続けてきた細田直彦さん。関わってくれる人も増え、組織も大きくなってきたときに訪れたのが新型コロナウイルス。外出規制、接触規制で高浜の海も2020年には閉鎖を余儀なくされ、海を取り巻くライフスタイルも随分と変わってしまった。 以前からライフセービングのボランティアに顔を出してくれた仲間たちの中には、活動から離れていく人もいた。それでも2022年には通常のように海が開き始めたことで、ライフセービングに興味を持って集まる学生たちも増えてきたほか、離れていった人たちも何かと気にかけて顔を出してくれたりもしている。 細田さん自身もコロナによって意識は大きく変わっていった。「昔は毎日来なきゃ、と思い続けて、家族には負担をかけてもきましたが、子どもが大きくなってやりたいことも増えてきましたし。自分がやりたいことをやらせてくれた分、子どもとの時間を作ろうって。そういう意味では自分もライフスタイルが変わりました」。 これまでは先頭を走って行かなければという思いもあったが、着実に人は育っているのを実感している。次の世代で任せられる人材も増えてきたという。「来てくださる皆さんは、この高浜の海が好きなんです。学生さんが多いので流動性はありますが、いかんせん移住となると生活の面で思いとどまる人もいて。それでもチャンスがあれば移住したいという人も多いですね」。 救護所に集まる学生たちは救急救命士を目指す人が多いという。キャリアのステップとして高浜の海が選ばれているのだという。今、和田海水浴場の救護所はそうした未来の夢に向かって経験を積む場所、という立ち位置が確立しているのだ。 講習会もたびたび開催してきたが、参加してきた人たちは学生ばかりではない。社会人も含め、さまざまな背景を持った人たちが集まる。そして彼らは皆、こう口にする。「海がきれい」と。「この間は40代後半の人がテレワークしながらできるということで大阪から来られました。これまでは仕事は対面でというのが既成概念としてありましたが、新型コロナが生み出したのは、〝どこでも仕事はできる〟という概念です。そうしたときに選ばれる海というのはうれしい限りです」。 逆も真なり。学生たちは新型コロナによって青春を謳歌する時間を制限されてきた。だから救護所に集まってリアルで交流できていることに新鮮さを感じ、年齢問わずにより良くするための意見をぶつけ合う環境に刺激を覚えている。「そもそも〝護る〟ことへの正解というものはありません。だから新人でもベテランでも、学生でも社会人でも、フラットに言い合える場所になっています。学生たちは私たちが当たり前だと思っていたことをさせてもらえなかったから、この環境はこれからも大事にしていきたいです」。 ちなみに、救護所に詰める場合はシフト制ではない。来たいときに来てもいい。1時間だけ手伝う、それでもいい。そうしたハードルの低さも人を惹きつける要因でもある。しかしひとたび制服を着れば人を護ることには誰もが真剣に向き合う。「BLUEFLAG」を取得し続けている和田海水浴場にとって欠かせない存在でもある。「地域に根差した活動なので、できれば移住してほしいな、という思いはあります。しかしきっかけとしてこの場所に来てくれたことで、次の世代、その次の世代にもつながっていくと思います」。 ライフセーバーは決して町外の人だけではない。地元で生まれ育った子たちが、自分の海を護る、という思いを作っていき育ってくれることも大事だ。そのために海の知識を教える「水辺の安全教室」も積極的に取り組んでいる。ペットボトルで浮いてみたり、ライフジャケットを着てみたり、自分の命をどう護るかを教えている。「子どもたちは目をキラキラさせて体験してくれるんです。子どもたちは海には来たいけれど遊び方を知らないという現実もあります。それは親が海での遊び方を知らないから、なんです。海水浴場が開設されなかったことで疎遠になった方も一定数いるとは思います。でも、きっかけがあれば海に来てくださるし、海を楽しめるはずです。そういう意味では親への海の安全教室を作っていくのもいいかもしれませんね」。 12人は環境によって意識も価値観も変わっていく。その中で、どう持続可能な“海”を作っていけるか。それがこの海を“護る”ことにつながっていく。時代は変わっても海を愛する思いは次の世代に伝えていく。ライフセービングライフ。
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