教育旅行2021年8月号 サンプル
8/10

東京・飛鳥山で渋沢栄一を学ぶ大河ドラマ館と博物館の展示から視察レポート(公財)日本修学旅行協会 理事長 竹内 秀一渋沢栄一。日本史の教科書にも大きくはとり上げられていないので、これまではそれほど知名度があるとは言えなかったのではないか。しかし渋沢は、実業家として現在に繋がる多数の企業の創設に携わり「日本資本主義の父」と称される一方、教育や福祉など社会公共事業でも指導的役割を果たした日本近代史上の重要人物だ。最近では、2024年度に発行される予定の新一万円札の肖像に選ばれたことで広く知られるようになり、さらに、NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公として脚光を浴びるようになっている。その渋沢栄一が、晩年のおよそ子の飛鳥山にあった。江戸時代からの桜の名所・飛鳥山。現いしょ倍ばう賞千恵子さんによる渋沢栄一と北区在は公園となっているその一角に、「紙の博物館」・「北区飛鳥山博物館」・「渋沢史料館」の3つの博物館からなるゾーンがある。そのうちの飛鳥山博物館内に、今、「大河ドラマ館」が開設されている(今年の12月26日まで)。今回、大河ドラマ館や博物館の渋沢関係の展示、飛鳥山に残る旧渋沢邸の一部を視察する機会を得たので、ここでは視察参加者の感想を交えながらその報告をさせていただく(〇のあとの文が参加者の感想)。JR王子駅中央口を出るとすぐ目の前    ぶし    小さなモノレールで上っていく。到着まが飛鳥山だ。「アスカルゴ」という愛称ので2分少し。車中には、北区で育った女優・とのつながりを紹介するナレーションが流れていた。を通って行く。受付の奥が青色を基調としたデザインの大河ドラマ館だ。青色は渋沢の生家が藍を扱う農家だったことによるという。飛鳥山博物館へは、桜の樹々の間の道まず、壁面に掲示された年表に注目したい。渋沢が農民から幕臣、新政府の役人を経て実業家になるまでの歩みと、それに大きな影響を与えた最後の幕府将軍徳川慶よ喜のの生涯が、幕末維新期の出来事とともに示されていて二人の関係がよくわかる。ホワイエの大型スクリーンを観てドラマの世界観に触れた後、出演者の写真とその個性あふれるサインを楽しみながら展示室に入る。〇正面の8mのスクリーンのイメージビジュアルが、ドラマおよび渋沢の生涯を象徴的に表しており、雰囲気がよく出ていた。ビジュアルの解説ボードもわかりやすく、渋沢の人となりや功績が端的にわかるよい展示だと思った。展示室では、出演者が実際に身に着けた衣裳や甲冑、小道具などが展示されている。大河ドラマをよく観ている人なら、この衣裳を着けて演じられた場面が思い起こされるにちがいない。渋沢の一大転機となったのが、明治維新直前に開かれたパリの万国博覧会に、幕府使節団の一員として参加した経験だ。ドラマでもこのあたりはしっかりと描かれるようだが、この放映を機に展示替えがあるとのことなので、すでに見学した人でもまた訪れる価値がある。〇実際着用された衣裳の展示がすごいと思った。着古した汚れなどのテレビの画面では映らない・わからない細部まで、丁寧に作りこまれた職人技に感心した。ドラマ館の目玉が「なりきり1万円札」の体験コーナーだ。ブースで撮影した自教育旅行 2021年8月号  28旧渋沢庭園内に立つ渋沢栄一像ドラマ出演者の衣裳の展示 上:飛鳥山博物館入口 左:ホワイエの大型スクリーン30年間を過ごした邸宅が東京、北区王

元のページ  ../index.html#8

このブックを見る