教育旅行2021年8月号 サンプル
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5  教育旅行 2021年8月号【問い合せ先】NPO法人安房文化遺産フォーラム千葉県館山市北条1721―1TEL:0470―22―8271mail:awabunkanpo@gmail.comその南側に位置する標高60mの赤山内部には、網の目状に2㎞近く掘られた巨大な地下壕がある。ほとんど資料がなく、作られた時期は不明である。市教委の文化財看板には「終戦が差し迫った1944年より後に建設されたのではないか」と書かれているが、昭和一桁生まれの周辺住民は「日米開戦前から掘り始壕め内られの壁て面いはたぎ凝」ょうと灰かい証岩がん言質し砂て岩いでる、。鮮やかな地層や断層が美しい模様を描いている。平和学習だけでなく、総合学習の教材としても人気が高い。大部分が素掘りで、均等な力加減で掘られたツルハシ痕がくっきりと残っている。発電室の壁や天井は、岩盤の上に金網を張ってコンクリートを塗り、崩落防止が施されている。はたして戦争末期の混乱時期に、こんなに丁寧な作業ができるものだろうか。壊滅した震災後の地質調査をしたうえで場所を選定し、かなり早い段階から専門部隊によって秘密裏に掘られたモデル的な地下壕ではないかと推察される。艦船ミズーリ号での降伏文書調印式の翌日、1945年9月3日。米占領軍3、600名が館山に上陸し、本土唯一「4     e─.  日間」の直接軍政が敷かれた。敗戦後の日本の占領政策を考えるための試金石だった可能性が高い。赤山地下壕内には「USA」の朱文字が残されている。近年、米国テキサス軍事博物館から入手した資料のなかに、館山に上陸した米占領軍司令官の報告書があった。そこには、「完全な地下海軍航空司令所が館山海軍航空基地で発見され、そこには完全な信号、電源、ほかの様々な装備が含まれていた」と記され、赤山地下壕が完ぺきな状態で存在していたことがわかる。単なる防空壕ではなく、館山海軍航空隊の管制機能をもつ航空要塞的な地下施設であったことが示唆される。の提唱を受けて、世界中を「平和の文化」で充満することを宣言している。「平和の文化」とは、対立が起きたとき、あらゆる生命を傷つけることなく、暴力によらず対話によって解決していこうとする価値観や行動様式と定義される。戦争末期、安房では農民には花作り禁止令が出されたが、「花は心の食べ物」として命がけで花の種苗を守った農民がいたおかげで、戦後の花畑につながっている。ほかにも、江戸期に建立された平和祈願のハングル「四面石塔」や、清国遭難船を救助した記念の「日中友好」の碑をはじめ、「平和の文化」の教材が多くある。館山の平和学習は、戦争という一面的ではなく、交流・共生という観点から「平和の文化」を多面的に学ぶことができる。本土唯一の直接軍政「平和の文化」を学ぶ旅館山海軍航空隊赤山地下壕跡(館山市指定史跡)ハングル四面石塔(千葉県指定文化財)1945.9.3米占領軍の館山上陸21世紀を迎えるにあたり、国連はユネスコ

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