●●●特別史跡大野城跡大野城の構造 天智天皇四(665)年に大宰府政庁背後の四し府市・大野城市・宇う美み町にまたがる。築城に際しては、百くだら済の亡命官人憶おく禮らい福ふく留る・四し比ひ福ふく夫ぶが関わり、当時の高度な築城技術を用いて造られている。昭和二八(1953)年、国の特別史跡に指定された。外郭線は約6・2㎞の規模を有し、尾根線上には基部幅約11m、高さ約6mの土ど塁るいを巡らせるが、谷部には土石流による決壊を防止するために築かれている。外郭線には9ヶ所の城門が設置され、太宰府口城門跡では3時期の構造変遷が判明しており、当初のほ掘った立てば柱しら形式の門柱下部には「孚うき石いし部(べ都つ)」の文字が刻まれている。また、北石垣城門跡からは、注1唐から居い敷しきに嵌はまった状態で、本邦初出土となる門扉の軸受金具が発見された。大おお野のじ城ょう跡あとは、白はく村そん江こうの戦いの翌々年にあたる王おう寺じ山やまに築造された古代の山城で、福岡県太宰百ひゃっん間け石垣・大おお石垣などの大規模な石塁が6ヶ所土塁内部には、礎石建ちの倉庫を中心に約70棟の建物が存在し、城内の随所に武器類・食料連載 もう一度訪ねたい日本の遺跡[8]【特別史跡】福岡県糟屋郡宇美町大野城跡宇美町太宰府市大野城市福岡市福岡県教育旅行 2021年8月号 2柱を建てた礎石が残る増長天(ぞうちょうてん)礎石群 ◉
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